2024/12/31

2024 今年の総括

 さて大晦日である。今年を振り返る。

写真展では、中平卓馬から始まり、アイルトンセナ(熱田護)で終わった。めちゃめちゃ幅広い。物理量的に圧倒的だったのは、東京都近代美術館で開催された「中平卓馬 火―氾濫」展だったけれど、展示されていた雑誌をもっとじっくり見るために、2回目も行こうと思っていて結局行くことができなかった。東京ステーションギャラリーで開催された安井仲治展は、一部の写真しか知らなかったが今回初めて彼の色々な写真を見ることができて良かった。最近お気に入りのAlec Sothの「A Room of Rooms」ももちろん良かったが、今年一番記憶に残る写真は何か?と考えると、東京都写真美術館のコレクション展で展示されていたチェン・ウェイ。プリントサイズは極めて大きく、バロックのような光線・陰影のある作品で、現代美術的な写真ではあるが一番イメージが焼き付いている。

美術展では、もちろんモネ展も良かったけれど、何気に勉強にもなった板橋区立美術館の「洋風画という風」展が良かった。今まで知らなかった江戸期の西洋絵画に影響を受けた日本の絵画を初めてまとまった数を見ることができた。それから、西洋美術館でやっていた内藤コレクション展の写本群も素晴らしかった。

書籍は、、、あまり読んでいなかったが、柳本尚規「プロヴォーク: 中平卓馬をめぐる50年目の日記」が、公に語られるプロヴォークの物語と違う一面を知ることができて面白かった。

2024/12/30

映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」

 


映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」の評判が良いことは知っていたが映画館には行けず、Amazon Prime Videoにて見放題独占配信を行なっていたので鑑賞。

米国での架空の内戦が物語の舞台。FBIを廃止したり、従来の合衆国憲法では禁じられている3期目に突入している大統領に対し、カリフォルニア・テキサス連合軍(あまり現実感の無いすごい組み合わせだ)である西部勢力とフロリダ同盟が内戦を起こし、政府軍は敗色濃厚、勢力はワシントンD.C.へ突入・・・という背景ストーリーの中で、記者のジョエル、戦場カメラマンのリー、リーに憧れ戦場カメラマンの道へと踏み入れた新人カメラマンのジェシー、そしてベテラン記者のサミーが中心となって物語が進む。

内戦そのものを政治的な側面や戦闘の側面を中心に扱った話ではなく、あくまでも、リーやジェシー、ジョエルやサミーといった戦場を取材する記者・カメラマンたちの物語で、とくにジェシーの戦場カメラマンとしての成長の話に(少なくとも最後近くまでは)思えた。

映像自体は、あまり「映画」っぽくなくツルツルした感じの映像で、ビデオカメラでそのまま撮ったかのよう(もしくは意図的にそのような映像にしている)。

疑問(ネタバレ):
最後のホワイトハウス突入後のシーンで、ジェシーを庇いリーが倒れた後、ジョエルはリーにはほとんど目もくれず、ジェシーを連れてすぐさま大統領のいる部屋に向かったのはなぜだろうか、という疑問が見ている時に浮かんできた。あれだけ親しかったリーが倒れたのにも関わらず、彼女の様子(生きているか・死んでいるか)も確認していなかったように思える。そこは、やはり記者の性として大統領にインタビューするという目的を優先して、兵士に大統領が射殺される前に、なんとしても大統領のところに行き、彼の(最後の)言葉を聞くためにインタビューしたかったのだろうか。その際に必要なカメラマンはジェシー一人で十分と判断して。

追記:
映画の中でジェシーがニコンFE2で撮影したモノクロフィルムを屋外で現像して、スマホを使ってスキャンするシーンがあり、このスキャナーはたぶんlomographyのこれ(現在、在庫切れみたい)。

スマートフォンスキャナー
インプレスの記事でも紹介されていた。

でも、120のフィルムも大量に持っている私的にはこちらが気になる(こちらも在庫切れ)。

DigitaLIZA Max
インプレスの記事

李良枝「由熙 ナビ・タリョン」

 


李良枝(イ ヤンジ)の芥川賞受賞作である「由熈」を収録。その他、「ナビ・タリョン」、「かずきめ」、「あにごぜ」なども収録している(収録順、「由煕」は最後)。きっかけは、リービ英雄の「バイリンガル・エキサイトメント」。

久しぶりに本格的な私小説を読んだ気がする。収録されているどの作品も繋がっている。父、母、兄妹、「母国」、「母国」語。

ウクライナなり、スロバキアなりから米国に移民した父母を持つが、米国で育ち、英語しか話すことができない米国人が、果たしてこの作品の中で表されるような、「母国」と米国の間でどうしようもなく揺れ動く(良い言葉が思い浮かばない)ことが果たしてあるのだろうか。そこが「在日」として生きる人々の苦悶なりのどうしようもない心の持ちようがあるようにも感じる。

自分自身が、少なくとも辿れる限りの江戸時代以前から東日本に代々住んでいる祖先を持つ日本語を話す人間であるので、2つの国の間の想いのような摩擦に苛まされることはなかったので、理解はできても共感はなかなか難しい(家族の話はともかく)。米国に留学していた時に時折感情や対人表現で(図らずとも)私自身の中に現れてきた、プチ・愛国心的表現でもないように思う。

New Mamiya 6

以前の公開していたwebサイトに掲載していたマミヤのNew Mamiya 6の記事をarchive.orgからサルベージしてきたので記録。

元の日付は以下。
 (Last modified: $Karaba: index.html,v 1.30 2007/02/07 16:01:14 mk Exp $)

New Mamiya 6 (ニューマミヤ6)

ニューマミヤ6絡みで各種検索エンジンから、 私の日記に飛んでくる方が多いようなので、 もう少しニューマミヤ6について詳しく書いてみました。

使用感など

そもそもなぜニューマミヤ6を購入したかというと、まず6x6のスクエアフォー マットを使いたいというのがありました。 しかし、6x6の現行品を探すとなるとハッセルなど高額な製品しか選択肢があ りません。 そこで、中古品に目がいくわけですが、その中でもニューマミヤ6は

  1. レンジファインダーカメラなので薄い
  2. レンズ鏡胴が沈胴式
  3. 一応露出計も内蔵
ということで、中判カメラのわりにはコンパクトな点などが気に入り、いろい ろ探しまわって購入しました。 もちろん、ハッセルの503あたりや二眼系のカメラも気にはなったのですが、 ハッセルは中古ボディの値段こそこなれてきていますが、レンズがちょっと予算 オーバーでした。
購入したのは、素のニューマミヤ6で後期のMFではありません。よって135フィ ルムは使えませんが、もともとこのカメラでそのような使用方法は考えていな かったので、私的には問題なしです。

レンズは、標準の75mm/F3.5(135換算41mmあたり)と広角の50mm/F4(135換算 28mmあたり)を購入しました。 このカメラは、どちらかというと50mm/F4レンズの方がレンジファインダーカ メラの特性上、広角レンズでも歪みも少ないということで評判が上のようです が、私は普段標準の75mm/F3.5を使用することが多いです。 理由は標準の方がポートレートなど撮るときに寄る必要がないですし、レンジ ファインダーカメラだと、カメラの性質上あまり寄れないので、私には標準レ ンズぐらいの画角が丁度使い易いです。 また、標準の75mm/F3.5レンズの方が、少しだけ全長が短かいのでコンパクト です。

この一年使ってみての感想は、はっきり言って露出計はそのままの値ではあま り役に立ちません。 光線がファインダーに入りこむような状態だったりするととても怪しくなるの で、レンジファインダー窓に手で庇を作って計測する必要があったりします。 そのため、AEはあまり信用おけないです。それに加えてAEで露出補正を行なう 場合、シャッタースピードダイアル付近の露出補正ロック解除ボタンを押して から補正を行なう必要があるので、これもまたあまり実用的ではありません。 というわけで、私のようなネガしか使わない人はともかく、ポジを使用する人 はこの辺りは結構やっかいかもしれません。 私は適当な位置(掌とか)に向けてAEロックするか、マニュアルで設定して使 用しています。 まとめると、露出計部分ぐらいしか不満はありません。

本当は、撮影したフィルムをスキャンして掲載したいのですがブローニー用の フィルムスキャナを所有していないので、いつか機会があったらということで。

写真

(注:写真ファイルは失われてしまったので復元できず。New Mamiya 6現物は手元にあるので時間のある時に撮り直そう。)

(前からの姿)
常用の標準レンズ(75mm)+レンズフードを装着した姿.

(後ろ姿)
背面.

(マウント部)
マウント部.マウント内右側にコロ、下に電気接点がある.マウント左下の銀色のボタンはレンズ取り外しボタン.右下にギリギリ見える黒いボタンが沈胴させるためのボタン.

(フィルム蓋)
フィルム蓋.圧板を回すことで120と220の切り替えができる.

(75mmレンズ目盛)
装着した75mm/F3.5レンズの目盛.使用しない時は、絞り目盛とボディの蛇腹部分が沈胴してコンパクトになる.

(遮光カーテン)
レンズ交換の際に感光しないためのカーテンが備わっている.(レンズ交換時には遮光されていないと交換できない.)

(ファインダー)
75mm/F3.5を装着した状態のファインダー.50mm/F4の場合ファインダー一杯に枠が拡がる.

(蛇腹)
遮光カーテンを開けると蛇腹が見える(写真は伸びた状態).

(75mmレンズを装着した状態(撮影状態))
75mm/F3.5レンズを装着した状態(撮影状態)

(75mmレンズを装着した状態(沈胴状態))
75mm/F3.5レンズを装着した状態(沈胴状態)

(50mmレンズを装着した状態(撮影状態))
50mm/F4レンズを装着した状態(撮影状態)

(50mmレンズを装着した状態(沈胴状態))
50mm/F4レンズを装着した状態(沈胴状態)

(ロゴ)
上部のロゴ.

(シャッターダイヤル)
シャッターダイヤル.○印がAE.□印がAEロック.ダイヤル右外の目盛が露出補正目盛でダイヤル左下のボタンが露出補正ボタン.

(レンズカバー前)
前部レンズカバー

(レンズカバー後)
後部レンズカバー

(マウントカバー前)
マウントカバー

(マウントカバー後)
マウントカバーの背面.電池を収納する穴がある.

(50mmレンズ)
50mm/F4レンズ.標準レンズ(75mm)の方を、私はよく使っている.

(50mmと75mmの比較)
75mm/F3.5(左)と50mm/F4レンズ(右)の比較.これだけ全長が違う.

2024/12/29

2024/12/28

荒木慎也「石膏デッサンの100年」

 


著者の博士論文をもとにした書籍のようであるが、美大生・美大受験生を悩ませて?きた石膏デッサンで使われていた石膏像の由来を探る話から始まり、日本における石膏デッサン教育の変遷と、石膏デッサン教育の推進派・アンチ推進派の言説などを探る話が続く。推進派は

石膏を単なる物ではなく、「心」を宿した感動の対象とみなすことの重要性を説いた。
らしいが、私のような素人には石膏像って、本物(オリジナル)をコピーしたものでそれを対象として感動の対象として見て良いの?と感想を抱いた。
しかし、すごくマニアックな内容であると共に、著者の本テーマにかける情熱についてはとても尊敬する。

フィットネスクラブ

 コロナ禍の頃から(それよりも前から?)、徐々に体重が増え、今ではすっかりメタボ状態。年齢のせいか、代謝も落ちていて全然体重も落ちない。体重計に乗るたびに大台が見えてきている状況に危機感を覚え、ついにフィットネスクラブに入会。。本日体験入会したが、すでに筋肉痛。ランニングマシーンのきついこと・・・。まあ1年は頑張ろう。それで結果が出なければ・・・ダメだと諦めるかな。

映画「ライオン・キング ムファサ」


 映画「ライオン・キング ムファサ」(吹替版)を見た。宣伝コピーでは超実写版という触れ込みで、本物と見間違うばかりの(たぶん)CGで作られた作品。ライオン・キング本編の話がどういうモノだったかすっかり忘れてしまっていたが、ウィキペディアによると本編の主人公のシンバの父がムファサで、シンバの叔父(ムファサの弟)のタカ(本編では悪役スカー)の生い立ちの話が今回の映画のストーリーのよう。

超実写版と謳うだけあって、本物の動物そっくりであるだけに、人間の言葉を話し、歌い、恋愛や嫉妬をするのが違和感バリバリだっった。目を瞑って音声だけを聞いていたら、どこかの国の王子様のお話に聞こえるだろうけれど、スクリーンに写っているのは本物そっくりの動物たち・・・。

2024/12/25

2024/12/22

日録

 

明大前駅近く

2024/12/18

リービ英雄「バイリンガル・エキサイトメント」

 

なんとなくリービ英雄の著作一覧をamazonでつらつらと眺めていたら、未読であったこの本「バイリンガル・エキサイトメント」を発見し購入。

エッセイや講演記録を集めたものなので、割とサクッと読めるし、彼の著作(小説)を読んでいる人ならば、どの小説の何について言及されているかも思い出しながら読むことができる。

タイトルのバイリンガル・エキサイトメントに関連して、何人かの小説家の名前が上がっている。以前から彼の著作を通じて名前だけは知っていた多和田葉子。安倍工房、中上健次。そしてはじめて知った閻連科、温又柔、李良枝、莫言(後ろの二人は名前だけは聞いたことがあるけど)。今度読んでみようと思う。

しかし、外国語で小説を書くというのは一体どれくらいの才能と努力と年月が必要になるのだろう。僕などでは想像ができない。私小説が割と好きな僕にとってはリービ英雄の小説は好物の一つである。なんせ「最期の国境への旅」を読んで青森へ一人旅に出てしまったくらい。彼の小説を読むと旅をしたくなる。

2024/12/15

日録

 



写真の理論

 

甲斐義明 編訳による「写真の理論」。写真に関する論文5編が訳され掲載されており、また後半にはそれぞれの論文に対する解説が掲載されている。論文の著者は、ジョン・シャーカフスキー (John Szarkowsiki)、アラン・セクーラ (Allan Sekula)、ロザリンド・クラウス (Rosalind E. Krauss)、ジェフ・ウォール (Jeff Wall)、ジェフリー・バッチェン (Geoffrey Batchen)の5名。

写真展の図録の序文として書かれた John Szarkowsikiの「写真家の眼」は比較的読みやすいが、他は私のようなアマチュアにはなかなか難しい。そのため後半の解説は理解の助けになった。Geoffrey Batchenの「スナップ写真 美術史と民族誌的展開」(Snapshots: Arts History and the Ethnographic Turn)はいわゆるアマチュアが撮った本来プライベートに取り置かれ公の場面に出てくることがなかった(想定されなかった)数多の家族写真などについて取り上げられている。2008年の論文であるが、近年のAlec SothのA Pound of Pictures や、原田裕規のOne Million Seeings に繋がっているのだろうか。

2024/12/14

日録

 


キヤノンギャラリー企画展 熱田 護 写真展「Ayrton」

 



銀座キヤノンギャラリーで開催されている熱田カメラマンの写真展「Ayrton」に行く。セナが死んでから30年も経ったのか、と時の流れの速さに驚くとともに、1994年のサンマリノグランプリ(イモラサーキット)当時のことを思い出す。

その日僕は、大学の友人のアパートの部屋で皆と麻雀をしていた。23時くらいだったかな、フジテレビのF1放送が始まる時刻になったのでTVをつけると、今宮さん、三宅アナウンサー、川井ちゃんが悲壮な顔をして並び、セナの事故を伝えていた。当然僕は麻雀どころではなく画面を食い入るように見つめ彼らの話に耳を傾ける。そして事故(クラッシュ)の映像が流れ、ヘリコプターからの上空映像では、コースアウトして壁に激突し跳ね返されてコース上に止まるセナが乗るFW16を映している。一瞬首が動いたように見えたがセナはコックピットから出て来ない。メディカルカーが現場に到着し、彼の体をコックピットから取り出しコース上に寝かせた後、何かの処置をしたのだろうか、真っ赤な鮮血がアスファルトにまるで絵の具をぶちまけたように拡がった。。

何せ30年前のことなので、上記の記憶がどこまで正しいかどうかは分からないけれど。

この年の鈴鹿の日本グランプリ(私にとって現地に行った最後の日本グランプリだと思う)では、大雨の中、ウィリアムズに乗るマンセルがすごい勢いでフェラーリのアレジを追いかけ回していたのを記憶している(でもたしか合計タイム?的にあまり意味がなかったような・・・)。

ギャラリーには熱田さんご本人も居られて、セナの写真集ではなく、PU時代のホンダの写真集「Champion」を購入し、サインと一緒に記念撮影していただいた(セナの写真集「Ayrton」は三万六千円と高価で断念)。

2024/12/12