久しぶりに本格的な私小説を読んだ気がする。収録されているどの作品も繋がっている。父、母、兄妹、「母国」、「母国」語。
ウクライナなり、スロバキアなりから米国に移民した父母を持つが、米国で育ち、英語しか話すことができない米国人が、果たしてこの作品の中で表されるような、「母国」と米国の間でどうしようもなく揺れ動く(良い言葉が思い浮かばない)ことが果たしてあるのだろうか。そこが「在日」として生きる人々の苦悶なりのどうしようもない心の持ちようがあるようにも感じる。
自分自身が、少なくとも辿れる限りの江戸時代以前から東日本に代々住んでいる祖先を持つ日本語を話す人間であるので、2つの国の間の想いのような摩擦に苛まされることはなかったので、理解はできても共感はなかなか難しい(家族の話はともかく)。米国に留学していた時に時折感情や対人表現で(図らずとも)私自身の中に現れてきた、プチ・愛国心的表現でもないように思う。

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