[BOOK] 最期の国境への旅
リービ英雄による随筆集。本の性格からいっても、そう小難しいものではないためさらっと読める。私にとっては初めてのリービ英雄体験1である。
本のタイトルは中に収められている随筆のタイトルの中からとられており、内容はリービ英雄という作家があらゆる旅の地で思った言葉についての様々な思いが紡がれている。
リービは東北の奥(北)をアメリカのディープサウスと比類してディープノースを表していたが、その旅において書かれた文は秀逸で、今すぐにでも旅したくなる思いにかられた。2
・原風景 (P.48)
(津軽の南の日本海沿岸にて)
『万葉集』の中に謳われた瀬戸内海とか、芭蕉が讃えた松島と違って、歴史的に保証された
「美しさ」もなく、海岸の延々と続く日本海のどこにでもありそうな、「原風景」。
・旅にしあれば (P.60)
「旅」はもともと動きを意味している、と同時に、「淋しさ」の発見でもあった。
また、「最北の寺」(P.225)に出てくるあまたの若くして死んでしまった若者の写真とそこに並べられた花嫁(花婿)たる人形の表現は圧倒的である。まるで読んでいる私自身がそこに対峙しているような感情さえ抱いた。3ココ
どうやら、この「最北の寺」は”西の高野山”を称される”弘法寺”らしい。情報はここやここ。
ちなみにGoogleマップだとここ。
七里長浜/弘法寺へ旅をしたくなった。行くべし。
17、18歳くらいだったろうか。試験勉強か何かで文京区の真砂図書館に居たとき、週刊誌で司馬遼太郎とリービ英雄の対談を読んだ記憶が残っている。このとき(司馬)「リービさんの出自たるユダヤについて話しましょうか。」、(リービ)「私はユダヤといってもユダヤ人の血が半分流れているだけで、ユダヤ教徒というわけではないのです。」(私の記憶だけで書いているため不正確)~みたいな会話を読んだ記憶だけが何故か残っていた。それから15年近くの間リービ英雄の本は読みたいと思っていたのだけれど、なぜか読むことはなかった。↩︎
そういえば、大学入学で初めて仙台で住みはじめた頃、青森から来た友人(男女)二人の会話を聞いていて何ひとつ意味を理解できないというカルチャーショックを味わったことを思いだす。方言というものを理性では認識していたけれど、どこかで日本人は全員同じ言葉を話していると能天気に思っていた私自身の都会っ子の愚鈍ぶりを思いだす。↩︎
ちょっと検索してみると、この「最北の寺」についてはに詳しく引用されているので省略。↩︎
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