2007/07/29

2007/07/29

[PHOTO] 最奥への旅 二日目

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人形堂

冥婚と呼ぶらしい。地蔵堂の脇にあるその建物の中に入るとガラスケースの中に日本人形が陳列されている。多くの場合、女人形の脇には男性の写真が、男人形の脇には女性の写真が添えられている1。ガラスケースには亡くなられた方の名前だけでなくパートナーとなる人形の名前も一緒に記入されている。若くして未婚のまま亡くなった死者があの世で寂しくないように人形を結婚相手とみたてて飾っているのだという。亡くなられた人の年代は戦前からつい最近のものまで様々だ。昭和二十年前後の軍服を着た写真もある。戦死した方だろうか。昨年亡くなられたと思われる成人式での晴れ着を着た若い女性の写真もある。これらの写真を見ているうちに自然と「君達は一体なぜそんなに若くして亡くなってしまったのかい?」と心の中で彼らに問いかけていた。そして写真に写る彼らの年代の頃に自分が何をしていたかと思ううちに涙が止まらなくなっていた。

金木

人形堂を出てからは、てくてくと田舎道2を歩いて金木の町へ向かった。ここは太宰治の生まれ育った町である。そして彼の生家が「斜陽館」として公開されている。今回の旅のベースにしている五所川原も同じだが、この町もほとんどの駅前商店はそのシャッターを閉じ、まさに”斜陽”を地でゆく現代の典型的な東北の町である。おそらく郊外にでも立派な駐車場を備えた大型スーパーができたりしたなどの理由で寂れてしまったのだろう。ただ単に通り過ぎるだけの旅人には、これらの東北の町々は賑わっていたであろうの中心地がとめどもなく時代の流れ3に逆らえず、寂びれてしまったという意味で一様に同じ町に感じられてしまう。


  1. 中には男女の人形それぞれの脇に男性、女性の写真が収められているものもあった。ケースに書かれた名前には男性、女性と異なる名字が書かれていた。おそらく恋人どうしで、事故か何かで一緒に亡くなったのだろうか。↩︎

  2. といっても舗装された立派な道だ。↩︎

  3. 本当は「時代の流れ」なんていう感傷的な言葉で簡単に結論付けられるものではないのだろうけれど。↩︎

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