2007/07/15

2007/07/15

[PHOTO] 日録

01

台風4号も東京では夕方には通り過ぎたようで、雲の切れ間から夕陽を覗かせていた。明日は晴れそうだが、台風一過で暑い一日となるのだろうか。

[BOOK] 留魂録

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ぬとも 留置まし大和魂

という有名な辞世の歌で始まる松蔭の公といって良いだろう遺書である。もとより刑死前のわずかな時間に書かれたものであるため、およそ五千字と量からしてすぐに読むことができる。彼の書いたものを読むのは高校時代に読んだ「講孟箚記」以来だろうか。

内容としては伝馬町の獄中で死を覚悟した後に書かれたものであるため、取調べ中の話、自らの死生観、獄中で出会った志士のことなどが主である。この文章だけでは死を前にしてやることはやったと自らに確信させる松蔭像しか表面的には見えてこないかもしれない。しかし、自らの死でもって村塾以来の弟子達に松蔭自身の思想を伝えることによって、これ以降の彼らの苛烈な行動を押したのだろう。

ちょっと考えただけでも、村塾の人びとの非業に斃れた比率はすさまじい。これはやはり松蔭という存在自体が彼らを何事かに導いたのだと考えない限り説明がつかない気がする。後世の人間たる僕などから見れば、滑稽な存在に見えなくもない吉田松蔭という若者だが、それだけに生死を賭けて全身でぶつかっていくその姿は村塾生たちを奮い発たせずにはいられなかっただろうなとも思う。

[BOOK] ローマ人の物語 XII 迷走する帝国

もう満身創痍というか泣き面に蜂というか、ローマ境界の外からは(ローマ人のいう)蛮族に侵入されまくられ皇帝は暗殺されまくられ、内憂外患とはまさにこの時期つまり三世紀のローマを指すのではないか1と思うくらいだ。このような状況でも殆どのローマ皇帝は必死に外敵を粉砕すべく首都ローマに落着く暇もなく国境線に貼りつき奮闘している姿を見るにつけ、ローマ皇帝というものの役割がその名称の最初にくるインペラトールであることが実感させられる。これに比べれは元老院の議員たちの腑甲斐なさというものが目につく。この本から受ける彼らの印象は皇帝に全ての責任を押しつけておいて何もしないにつきる。パトリキという言葉は滅んだかのようだ。ローマを形成していた上流階級の矜持は忘れられてしまったのだろう。またこの時代の皇帝もほとんどがどこの馬の骨ともわからない庶民出身の軍団兵からのたたきあげであり、実力だけがものを言う時代となっていたことが察せられる。このような状態ではいくら皇帝と軍団が奮闘しても、国境からの侵入は阻止できず都市は略奪され農地が荒廃するのを防ぎきることはできなかったろう。そしてその後にまっているのは人心の荒廃であり、現世に望みを失えば頼るのは来世となる。それも頼りがいのないローマの神々ではなく一神教(キリスト教)の神による魂の救済となるのもむべからんと思う。宗教のはやる時代・宗教に頼る人びとをぼくらは決して笑うことができない。現世に望みを失くしそれ以外に頼るすべがない人びとを宗教を頼ることなく生きていける幸せな人間が嘲笑することはできない。


  1. もちろんご存知の通り「内憂外患」の言葉は左伝由来です。↩︎

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