[PHOTO] 日録
FLY UP HIGH
“Upskirt Oktoberfest Munich”ということは、ドイツミュンヘンの10月祭か。ビールはそんなに飲みたくないが、男としては是非とも行きたくなる。
[PHOTO] 大辻清司の写真出会いとコラボレーション
ちょっとした用事で渋谷へ行った。用も済みさて帰るかと駅へ向う途中、路上の掲示板を眺めると、ちょうど今松濤美術館で大辻清司の写真展が開催されている。大辻清司と言えば、写真についての深い評論と何人もの才能ある写真家を発掘・育てたことが私の中の彼のイメージである1。大辻の写真というものをこれまで見たことがなかったこともあり、興味を覚え行くことにする。
内容は回顧展的なもので、前衛美術家とのコラボレーション作品から雑誌の仕事写真やスナップショットなどが含まれている2。これらの中では造形的な写真よりもスナップショットなどを含むカラーで撮られたものが良かった。
また会場で売られている図録には、おそらく展示作品のほぼ全てが含まれていると思われ、また彼の評論家としての写真関係の文章(大辻清司実験室など)も同時に収められている。それらの文章も会場でパネル展示されていたものの、会場でじっくり読むのは困難であることを考えると、とてもお得だと思う(2500円)。
[BOOK] 星条旗の聞こえない部屋
私にとってのリービ英雄第三弾であり、リービ英雄のデビュー作品。この作品も自伝的要素が強いように思われる。
宣伝文句には日本語ネイティブでないアメリカ人が日本語で書いた史上初の小説であることがしきりに強調3されている。まず、小説の書かれた言語が著者の母語であるかどうかという事よりも、「ライ麦畑でつかまえて」を思い起こさせた主人公のアイデンティティ探しの心情の描写に心を揺さぶられる。そして主人公の日本社会への突入に対する日本人のある種の畏怖をみるに、日本に生まれ、その風俗・習慣を暗黙のうちに空気のように共有している人々だけによって話される言葉、つまりひとつの文化背景を持つものだけによって話される言葉が日本語であり、その以外の人とは言葉(文化)を共有できるはずがないといった我々(私)が抱く差別のような閉鎖性を思い知らされることになる。
とはいえ、冷静に考えて日本語は覇権(帝国)言語でない。大雑把に言って他民族が母国語以外に利用される言語でないこともまた事実であろう。それだけに、鎌倉以来連綿と培ってきた文化体系とは維新このかた断絶関係にある我々は、ほとんど日本語だけが唯一日本人としての文化アイデンティティのよりどころだったのではないかと思ったりもする。
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