2007/02/21

2007/02/21

[BOOK] 写真幻論

帯に「写真は救われるか」というコピーが踊っている。筆者の大島洋は「幸福の町」などの写真(集)で知られている写真家だ。彼が写真を撮るだけでなく文章も書いていることは知っていたが、今回初めて彼の写真論に関する本を購入した。

ここでも初まりは中平卓馬だ。

1980年代には、コンストラクテッドフォトやメイキングフォトに代表される「私」のイメージを構成し撮影した写真がもてはやされたらしい。1970年代に中平が「なぜ、植物図鑑か」でといた「事物をあるがままに撮る」という写真表現がメインストリームとならなかったのかを冒頭で考察している。そこには”リアリティ”という信頼を失なった、あるいは感じることができなくなった写真表現というものに原因のひとつがあると解いている1

よくよく考えてみると、私世界を表現したいと思ったならば、写真などよりもはるかにコントロールの効く絵画や詩を選ぶ方がよっぽどふさわしいように思える。しかし単なるドキュメントではなく、なんらかの心象風景を求めて写真を始めたという動機2には、確かに「なぜ絵画でなく写真だったのか」という問いに対する答えが提示できていない。自分が写真を始めた頃を思いだしながら考えてみるに、撮影行為というものが撮影者自身による被写体(街の風景でもよいし、人物でもよい)の選択行為である以上そこには、被写体に対して撮影者自身の心象に何らかの作用を及ぼした結果の選択であるはずだろう。そうだとすれば、結論は自らの心象風景をその被写体に“容易”に仮託できると信じたからこそ写真を選択したのではないか。もちろん今となっては、そんな己れが世界を選別するなど夜郎自大な行為以外の何物でもないことは、撮影した写真への自己と他者の思いの違いなどから経験し知覚しているつもりだ。でも当時は、少なくとも一から絵を描くよりはシャッターを押すだけで良い(と誤解していた)写真の方がお手軽に感じたからこその選択だったのだろう。

話が逸れてしまった。他にも最後の「ユジェーヌ・アッジェ」の章において、大島は

アッジェの写真には"定位置"が用意され、ついには"神話"の生成さえもみられ
るのではないかと思われる。(略)
私たちは"神話"から逃れて、その写真をみることはできないのであり、(略)
私たちが安心してアッジェの写真をみているたちまちのうちに、"神話"は私た
ちをその「神話作用」のうちにとらえこんでしまっているといってよい。

とアッジェの”評価”について語っている。なるほど、私も”神話”によってアッジェの写真集を買った者の一人だ。しかし未だその良さを知覚できず、自分の観察力欠如への疑念に対して怯えている。まあアッジェに限らず、やれピカソだ、ダリだとマスコミで盛大に宣伝された展覧会に押し寄せるあまたの人びとが、それらの作品を自分自身の評価軸で良いとしたから見にいっているのではないであろうことと同じことなのだろう。もちろん自分自身写真を撮る者の一人としてその他あまたと同じく他者の評価でしか基準を持てず自分自身の評価軸に確信を持てないというのは如何なものかという問題意識はあるけれど。


  1. と読めた↩︎

  2. 初めてカメラを買い、写真を始めた数年前を思いおこすと私自身もあてはまる。↩︎

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