2007/02/07

2007/02/07

[BOOK] 「風の旅人」 vol.24

最近の私のお気にいりの雑誌1「風の旅人」の最新24号を読み終えた。この号のテーマは、“ROUND OF LIFE”〜永遠の現在〜だという。

「現実と幸福」

養老孟司はこの号の「現実と幸福」というテキストの中で、

じつは現実なんてものはない。われわれの意識が勝手に決めているだけである。
それをきちんと定義すれば、その人の行動に影響するものが、その人にとって
の現実である。
(中略)
つまりその人を動かすもの、それがその人の現実なのである。だから現実なん
て人によって違う。そんなことは当然だが、現代人は公平・客観・中立な世界
という幻覚を持つのが普通である。

と述べている。

「人は見たいと思う現実しか見ない。」と言ったのは、ユリウス・カエサルだったか。“現実”というものは、その人自身を動かすものではあろう。しかしある目的(目標)2を持ち、そのために行動している人間と、単に目の前で出くわした事象にだけに反応している人間とでは、“現実”そのものの視野が異なるように思う。目的を持つ人間はそれだけ、その目的実現のために障害となるものを取り除き、また他者からの協力を得なければならない。とすれば、自分だけの”現実”だけでなく他者の”現実”についても敏感にならざる得ない。その結果として他者と自己の”現実”を相対化し、見えてくるものが変わるだろう(たぶん)。

そこで思い浮かんだのは20世紀の壮大なユートピアであったコミュニズム国家のことだ。ユートピア建設を目的とし、それを成し得た革命家は他者との”現実”を相対化することができるリアリストたりえて、初めて革命に成功できたのだろう。ところが彼らが目的とし建設した国家が養老の言う「公平・客観・中立な世界という幻覚」としての”現実”だったことの矛盾があまりにも皮肉だ。

「ほんの小さなことの中に」

また、茂木健一郎は掲題のテキストの中で、

小学校に上がってしばらくした頃、見渡す限りの土地という土地が、どれも個
人、ないしは会社や地方公共団体、国家など、いずれにせよその持ち主がはっ
きりしているという事実にふと気付いて驚愕した。

と述べている。

小学生低学年くらいの頃であったろうか、私も土地といわずあらゆるものが誰かのモノであることに気づいたことを思い出した。大人になった時には昆虫ぐらいしか’自分の分’はもう残されていない、どうすれば良いのだろうかという心配を感じたことがあった。今ならば別に’所有’など必要ないとかっこつけて形而上的に答えることもできるぐらいの大人にはなったが、当時はまだ知識などで手垢のついていない幼ない人間ならではの人間という動物の原初的な本能の一つとしての’所有欲’が剥き出しなっていたのだろう。


  1. 正確にはISBNがついているから雑誌ではなく書籍(ムック)かな。↩︎

  2. “理想”と言いかえてもよい。↩︎

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