ふと思い立って、国立西洋美術館の常設展へ。常設展は500円に観覧できるのでお得であるし、14世紀の宗教画からピカソまで結構いろいろなものがカバーされている。今回の主な目当ては、ルカス・クラーナハの「ゲッセマネの祈り」と「ホロフェルネスの首を持つユディト」。最近、クラーナハの描くちょっと釣り目で鼻がツンとした顔がお気に入り。
それから、カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」のラピスラズリの青マントの色がすごかった。
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小林紀晴著「写真はわからない 撮る・読む・伝えるー「体験的」写真論」を読了。20年ぶりくらいに彼の著作を読んだが、とても納得の内容だった。
よい写真は
この三つが備わっていると言明している。また村上龍の言葉を引用しつつフォトグラファーになるための条件として「写真より興味があるものを持つ者」としている(山岳写真家の登山等)。
また、Alex Sothも似たようなことを言っていたと思うが、小林も作品を完成させる過程で必ずキーワードとなる言葉が必要で、言葉=コンセプトとなり写真が撮り貯まり、最終的にそれをどうまとめるか・編集する段階でも言葉が必要となると。
MUSEUM LUDIWG COLOGNE ルートヴィヒ美術館展 20世紀の軌跡 市民が作った珠玉のコレクションという美術展を国立新美術館へ見に行く。カンディンスキーやピカソなども含む、近代~現代アート。ロシアンアバンギャルドなど幅広く展示があり、面白かった。アンディ・ウォーホールのエルビスプレスリーの作品はとても多きサイズで驚いた。(現代美術になるほどサイズが大きくなりますね。)
そのあと、国立新美術館でやっていた「ワニがまわるタムラサトル」展も無料だったので覗いてみた。こちらの方が、末っ子は喜んでいた。
Alec Sothの"Sleeping by the Mississippi", "Niagara", "Broken Manual", "Songbook", "A Pound of Pictures"の5つの写真集を収録し、彼自身が注釈を入れた"Gathered Leaves Annotated"を購入。紙はざら紙で、写真の細部を観たい向きには適していないが、彼のアメリカに向けた大型PJ写真集が全部入りでお得感がある。彼の注釈は自筆なので、字の判別に苦労したが内容は非常に面白く、自分自身の心象風景に彼の写真がさらに入り込むようになった。
彼の写真には、なんとなく死(とそれの裏返しの)愛を感じることが多くあるが、死にも多く言及している。写真集を出した後に、撮影された人物の後日談で、亡くなっていることなどを知るにつれその思いが強くなった。
私は、この中では、"Broken Manual"という米国の隠匿者を捉えた写真集がなんとも鬼気迫るものを個々の写真から感じられて好き(いや好きというより衝撃を受ける感じ)なのだが、"Broken Manual"自体へは彼の”注釈”は少ない。むしろ、今、葉山の神奈川県立近代美術館でやっている彼の写真展で上映されているドキュメンタリー映画『Somewhere to Disappear』(2010)を観ると、彼が何を撮り・撮れなかったか(収録しなかった)も含めてよくわかり、さらに衝撃が広がると思う。
以下、注釈を読みながらそれぞれの写真集を読んだときに頭に浮かんだ・記憶に残った言葉
Photography is sometimes thought of as being a visual communication system free from constraints of language, but it doesn't work that way. Even if a book consists of nothing but pictures, the work inevitably processed through language by publishers, critics, and the general audience. I define myself as a photographer, not as a writer. Nevertheless, I need to be cognizant of the ways in which my work will be at least partially processed through language.
西洋美術の本を読んでいるとルネサンス期の芸術家の話の出典として必ず出てくるヴァザーリ。とても気になって、有名だし翻訳がでているのではないかと調べてみたら、全訳はなく、一部の芸術家の部分だけを翻訳したものが出ているみたい。(芸術家列伝1、芸術家列伝2、芸術家列伝3)
チマブーエ、ジョット、シモーネ・マルティーニ、ウッチェッロ、マザッチョ、ピエロ・デルラ・フランチェスカ、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ベルリーニ(以上1巻)、ボッティチェリ、マンテーニャ、ジョルジョーネ、ラファエロ、アンドレーア・デル・サルト、ティツィアーノ(以上2巻)、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと西洋絵画史入門にも必ず出てきそうな画家たちの章が翻訳されている。
チマブーエ(Giovanni Cimabue)
科白を芸術表現の補助手段として使用する新機軸を思いつき、編み出した点は注目に値する
・・・(以下、気ままに追記していく)
アレック・ソス(Alec Soth)の 日本で初の個展「Gathered Leaves」が、神奈川県立近代美術館葉山で開催されているので少し遠いけれど行ってきた。
「Sleeping by the Mississippi」「NIAGARA」「Broken Manual」「Songbook」「A Pound of Pictures」の5つの写真集からピックアップされたものが展示されていた。
彼の写真は何か被写体の「狂気」とも言えるものを写しているというか、撮影者が「狂気」をはらんだ対象を選択して撮影しているというのか、どちらかわからないけれど、何か仄暗い「狂気」を感じる。特に、「Broken Manual」はそう。これは、会場で上映されていたドキュメンタリー映画『Somewhere to Disappear』(2010)を観たせいなのかもしれない。