格言
「女は未来を見て、男は過去を見る」1
格言なんて嘘。私が思っただけ。↩︎
昼前の便で那覇を発ち東京へ戻る。東京はまだ寒い、沖縄はもう至るところで花が咲き乱れていたのが懐しい。午後は撮影済みのフィルムを現像に出すため新宿ビックカメラへ行った。
今回の旅行を振り返ってみて思うのは、沖縄は広い1ということだった。2日目の那覇周辺の散策ではをモノレール・徒歩での移動だったのでまだそれなりに”凝視”できたと思う。しかしその後のレンタカーでの移動では点での移動になってしまい、しかも一箇所の滞在時間が長くて数時間。これではとても”凝視”できたとはいえない。中部から南部に関して地理的な知識は間違いなく増えたはずなので次回訪れる時は、前もっていくつかの点を決めて集中的に腰をすえていきたい。
それでもわかったことはある。本島中部、那覇周辺、南部では全く感触が異なるということだ。(全く訪れなかったが)特定の観光ビーチやモールなどを除けば、戦跡が強調される南部、国際通りに代表される”開かれた”那覇、「返還」されていない中部とその趣きは異なる2。 でも訪れたどの場所でも抱いた共通の印象がある。それは、どこも子供の数が多く、生き生きとして見えたということだ。私が6年間過ごした東北地方と比べてその差は圧倒的に思える。子供の数が多いということはそれだけ未来が開けている3。
本島中部1へ、国道58号線に沿って北上する。キャンプキンザー、普天間飛行場(基地)、キャンプフォースター、キャンプ桑江、嘉手納飛行場(カデナエアベース)と米軍施設の数とその広さに圧倒される。沖縄はまだ「返還」されていない。また軍用車両やYナンバー2の乗用車が多くなり、昨日までに訪れた那覇周辺や本島南部とは明らかに様相が異なってくる。特に基地周辺はアメリカの郊外を訪れたようだ。アメリカのドライブウェイ周辺と似た看板が立ち並び、店もドルが使える。昼食に立ち寄ったレストランでもだされる料理の量がアメリカ並みだった。
嘉手納飛行場を見た後は、東海岸へ出て与勝半島の先にある平安座島・浜比嘉島に立ち寄る。海はコバルトブルーに輝き、ああ南の島に来たんだなと感じる。再度与勝半島にもどりコザへ向かう途中、米軍の軍港(ホワイトビーチ)近くを通ったが、細い路地一本隔てて一般住宅街と基地が向い合わせであることに驚かされる。
最後にコザへ立ち寄る。コザゲート通りはいかにも基地の町といった様相で派手でチープな横文字の看板が立ち並ぶが、70年代とは(たぶん)異なり活気はない3。そのかわりに商店街では閉じたシャッターに殴り書きされた落書きばかり目につきとてもうらびれた感じだ。よく街を観察していると、どの家も窓という窓に格子が付けられていて不気味な印象を与える。相当治安が悪い(悪かった)のだろう。訪れた時間帯はまだ陽のあるときだったが、夜になるとどのように変わるのだろうか。あまりにも自分の住む町と違いすぎ、撮影することもままならなかった。(あたり前だが)数時間の滞在では何も見えてこない。
那覇の路地を歩いていると、よく「石敢當」などと刻まれた表札程度の大きさの長方形の石板が塀の下方に埋め込まれている。最初は何のためであるかわからなかったがどうやら魔除けのためであるらしい。