2006/10/12

2006/10/12

[MOVIE] 映画「カメラになった男 - 写真家 中平卓馬」

すでに観ている映画だが、再度レイトショーで上演するというので、今日は会社をいつもより早めに出てシネマ アートン 下北沢へ行く。(しかし、下北沢は一度ちゃんと写真を撮りに出掛けたい街ですな。)

2度目ということもあり、今度は映像の細部まで目が行きさらに楽しめたし、なぜかとても癒されたような気もする。

映画の中で登場していた一見いかにもシロートでも撮れそうないつもの彼の写真であるが、何かそれら一般の写真とは違い、理由不明の強い感じが私の心の中に残っていた。

帰宅後、倒れた後の中平卓馬の写真を再度眺めてみたが、やはりそのワンパターンにもみえる一見作為のなさそうな写真の中に彼自身の何か(視線、意思?)が強く伝わってくる。望遠レンズでもってシンプルなフレーミングで撮っているためか対象のみが強調され、鑑賞する側からすると一点に視線が集中しやすいからなのか。

また、病気のせいかマクロ的に観ているとファンキーな行動ばかりが目についてそればかりに気をとられてしまうけれど、彼の行動の中で時折発っせられる言葉の断片断片を注意深く聞いていると、とても真摯で深く考えさせられるものばかりであり、あまり考えすぎると私ごときでは写真が撮れなくなってしまいそうなくらいだ。

自己解体、自己再生

ところで、面白いページを見つけた。

中平卓馬語辞典

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