Amazon prime videoにて映画「ドラキュラ」を観る。ウィノナ・ライダーが大好きだけれど、この作品は見逃していた。彼女が一番美しく見える作品として、リアリティバイツだと思っているけれど、この作品の彼女も美しい。リアリティバイツが1994年公開で、このドラキュラは1992年公開なのでそれより少し前だ(ちなみに、ナイトオンザプラネットが1991年)。
監督がコッポラで、出演俳優にウィノナ・ライダーの他に、アンソニー・ホプキンス、キアヌ・リーブスなど錚々たるメンバーだ。
東京都写真美術館で開催されている「即興 ホンマタカシ Revolution 9: Homma Takashi」展に行く。カメラオブスクラの手法で撮影された建物、富士山などの風景写真が倒立像や正立像で展示されている。また、ピンホールを示しているのだろうか、丸い鏡(追記1)が天井からいくつもぶら下がってその周りの壁いっぱいには街の風景写真がプリントされているインスタレーション。他にも、カメラオブスクラを表しているのだと思われる、会場の中央にはどこにも入り口がない部屋・・・だが四辺には丸い穴が開けられていて、中を覗くと「9」や「Revolution」と書かれた写真が映し出されている(この部屋には中央にピアノとドラム?二台が置かれている)。
展示の趣旨を予習しないで行ったので、なぜ丸い穴?倒立像?とか戸惑い、給水タンクが写っていたりしたので、ベッヒャー?とか思ってしまった。
会場の最後の空間には、女性がうつ伏せになったヌード写真があったけれど、これはどういうものなのかしら、カメラオブスクラ(暗室)"で" or "の中で"撮影したもの?、他にも水滴のような抽象的な写真もあったけれど、これもどちらなのだろうか。
あと、サブタイトルにもある「Revolution」や「9」はに何か意図・意味がありそうだけれどわからない(追記2)。
追記1:鑑賞後に立ち寄ったNADiffで購入した「ホンマタカシの換骨奪胎」によると、おそらく本展示の鏡は太宰府天満宮の神幸式大祭で道真公の御神霊が乗る御神輿についている六つの鏡からヒントを得たインスタレーションのようだ。
追記2:展示案内のページに書いてあった。
本展の英題「Revolution 9」は、イギリスのロックバンド、ビートルズが様々な音源を元にコラージュのように制作した、同名曲へのオマージュとして捧げられています。
追記3:清里フォトミュージアムでカメラオブスクラの体験をしたことを思い出した。眼が慣れるまでピンホールを通して映る絵は見えてこない。
森山大道の新刊写真集。1年前(22年頃?)に彼が撮った逗子・葉山・鎌倉の写真。タイトルのNとは(もちろん?)中平卓馬のことだ。昨日の「挑発関係=中平卓馬×森山大道」展の影響で、ミュージアムショップでも売っていた掲題の本を帰宅後どうしても欲しくなりAmazonで発注。翌日(つまり本日)届く。便利な世の中である。
コロナ時代の風景ということもあって、マスク姿の人が多く写っている。写真に映り込んだ森山さん自身もマスクをしている。写真は森山大道そのものだが、時代も映り込んでいて楽しい。森山さんが中平卓馬と過ごした逗子近辺の思いを馳せながら、彼の思い出を擬似体験するかのようにこの写真集の写真を眺めていた。昨日の写真展でもこの本に掲載されていた写真は展示されていたはずだけれど、やはり写真集は良いですね。自宅でリラックスしながらじっくり見ることができるので、色々な発見がある。
東京都現代美術館で7/15から開催されているデイヴィッド・ホックニー展に早速行く。3連休の最終日で混在しているかなあと思ったけれど、ギュウギュウで鑑賞すらままならないというほどでもなくてよかった。ゴッホ、ゴーガン、あるいは浮世絵の影響なんかも感じられる。僕は彼のポートレート作品よりも風景画がの方が好きだ。色彩鮮やかな風景。1階に展示されていた、春の到来シリーズのiPad作品(The Arrival of Spring in East Yorkshire)や90mのまるで絵巻物のようなノルマンディーの12か月(A year in Normandy)がとても良かった。
久しぶりのインディ・ジョーンズ。ハリソン・フォードの年齢も考えるとアクションとか不安もあったけれど、よく出来ていて、インディ・ジョーンズを期待して見に行った人を裏切らない出来栄えだったと思う。ジョン・ウィリアムズのテーマ音楽を聞くと相変わらずワクワクする。
ただ、最後の「現代」に戻ったシーンは蛇足のようにも感じた。単に「現代」に戻れたところで終わっても良かった気もする。
アーティゾン美術館で開催中の「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」展に行く。抽象絵画ということで、セザンヌから、フォービズム・・・、そして抽象絵画・彫刻、と流れに沿った展示になっている。カンディンスキーあたりまではまだ抽象と言っても、タイトルを見て、絵を見れば、絵の中に何が描かれているかが見えてくる。しかし、その先に行くにつれ、タイトルが無題だったり、番号だったり、「作品」だったりしてくるともう何の抽象だかもわからなくなる。質感だったり、色彩だったり、偶然の交線などを、意味をもたず鑑賞するものなのだろうか。また、絵のサイズがどんどん巨大化する。これを飾れるのは広大な壁を持つ富裕層の大邸宅にしか飾れないだろうなあ。そういった豊かさを自慢するために、これらの巨大な抽象画が持て囃されたのかしら(いきなり美術館に飾る訳でもないわけで、富裕自慢のために巨大サイズであることに需要があったのか)。
(”始まり”のセザンヌ)
上野の森美術館で開催されている「特別展 恐竜図鑑 失われた世界の想像/創造」に行く。パレオアート(古生物美術)というらしいが、恐竜を描いた絵、絵、絵。恐竜の化石が「発見」されて以降、化石から想像して描かれてきたものだけに、研究などの進展によって、同じ恐竜でも時代によってその姿は結構違っていたりする。
誰も恐竜が生きていた時代に生の姿を見たことがないので、多分に想像に頼って描く訳で、頭部を隠すと、サイ?イルカ?ワニ?と現生生物そっくりの姿で描かれていたりする。背景もティラノサウルスひとつとっても、森・ジャングルの中にいたと思うと、砂漠地帯にいたりする。
追伸:週末で混雑した会場で、電動車椅子の方が、大きな声と傲慢な言いようで「すみません!すみません!この絵を見たいんですけどーどいて下さい!」何度も割り込んでくる。他の人は礼儀正しく並んでいるのに、並ぼうともせずに割り込んできて、気持ちの良いものではなかった。
東京国立近代美術館で開催されている「重要文化財の秘密」展に行ってきた。会期が5/14までという事もあってなのか多くの人で混雑していたが、マネージメントがしっかりしているのか、じっくり見ることができた。重要文化財に指定されている作品の多くが展示されるとあって、とても楽しみにしていた。展示は、1.日本画、2.洋画、3.彫刻、4.工芸、という順路であった。私は洋画に興味があって赴いたのだけれど、一番衝撃を受けたのは日本画だった。今村紫紅、印象派やゴッホ入っていませんか?富岡鉄斎、ゴーガンはいっていませんか?普段目にしていた伝統的な日本画とは全く異なる絵で衝撃を受けると共にとても興味が湧いた。
ちなみに重要文化財とは、上記東京国立近代美術館のwebページによれば次のものです。
重要文化財は、1950年に公布された文化財保護法に基づき、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料などの有形文化財のうち、製作優秀で我が国の文化史上貴重なもの等について文部科学大臣が定めたものです。そのうち特に優れたものが「国宝」に指定されます。
どこか(確か日経新聞だったか)で書評を読み、気になって購入。2021年に映画にもなっているらしい(多少設定など異なっているよう)。
久しぶりに、純文学?を読んだ気がする。著者のタン・トゥアンエン(陳團英)はマレーシアの人らしいが、英国に留学していたり、2012年マン・ブッカー賞の最終候補に選ばれているとあるので、原文は英語で書かれているのかしら。
太平洋戦争前後の今のマレーシア(マラヤ)を舞台にした小説。現地に住む日本人庭師(で彫師)とマラヤの中華系の女性(戦争中には日本軍から非道い目にあう)との恋愛?を回想の形で綴ったもの。舞台が太平洋戦争中・戦後の共産ゲリラが跋扈する時代のマラヤということで、かなり過酷な状況の中で物語が進む夢が、何か静謐な時の流れにいるような不思議な感覚に襲われた物語だった。
一点、庭師が彫師でもあるという設定はリアリティとしてあり得るんですかね。そこは少し気になった。
国立西洋美術館で開催されている「憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」展へ行く。今日は今朝からWBCの準決勝でメキシコ対日本戦をTV観戦して、9回裏の日本の劇的な逆転勝利の興奮も冷めやらぬうちに美術館へ。フランスのブルターニュはフランスの中で少し異国を感じる場所であったらしい(少なくとも19世紀末あたりでは?)。彼の地の風景や風俗を描いた画家を特集している。図版も購入したが、まだ読んでいない(これからじっくり読もう)。私的に一番面白かったのは、ゴーガン。初期の絵は印象派している、が、のちにはあのゴーガンの絵になっていた。
東京都写真美術館で開催されている深瀬昌久の回顧展を観に行く。深瀬の写真集「父の記憶」は私が写真を初めて間もない頃、一番最初に衝撃を受けた写真集だった。今回は回顧展ということで、各作品テーマごとに分類された写真が集められて展示されていたため、どうしても一つ一つのテーマの写真は内容(枚数)も薄く(少なく)なってしまって残念だった。回顧展という性格上仕方のないことだけれど。家族の写真などはもっと多くあると、その中に写る、もしくはどうしても感じてしまう時間(時の流れ)とその行き着く先の死や離別をもっと感じることができただろう。図録も購入したが素晴らしい。彼の写真集は、ほぼほぼ古本でしか手に入れることができなくなっている現状を考えるととてもリーズナブルだ。
佐伯の絵は、太く黒い輪郭線、平面的、傾いた垂直線や水平線、どちらかというと暗い色合い、赤茶色が目に付く(ことが多い気がする)といった特徴を感じた。また、筆に勢いを感じる。一つの作品を仕上げるのにあまり時間かかっていないような印象。一部を除き暗い画面が多いので、部屋に飾ると少し暗くなりそうだなと思う。100点あまりの展示を一度に見れたのは良かった。
私が良いなと思った3点は、下落合風景(たくさんあるけれど、右に赤い屋根と電柱が見えるもの)、門と広告(テカっている方)、郵便配達夫。
蒼穹舎ギャラリーに掲題の写真展に行く。というか鈴木信彦さんの写真集「TOKYO HEAT WAVE」を手に入れたくて、調べたら今日までギャラリーで展示もやっていることを知って慌てて行ったというところ。ご本人も在廊されていた。なぜか、 amzonだと値段が11000円とか倍以上の値段が付いていた。どういう事だろう?ちなみに、蒼穹舎で購入したものは鈴木さんのサイン入りだった。
鈴木さんの写真はいつ見ても、ドキドキする。このドキドキの意味は、被写体に写っている人(僕の場合は女性)に対するドキドキと、もし自分が鈴木さんのようにカメラを構えたら、相手からのどんなリアクションが返ってくるかわからないという怖さ(主に男性の被写体)からくるドキドキの2つの意味で。