アーティゾン美術館で開催中の「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」展に行く。抽象絵画ということで、セザンヌから、フォービズム・・・、そして抽象絵画・彫刻、と流れに沿った展示になっている。カンディンスキーあたりまではまだ抽象と言っても、タイトルを見て、絵を見れば、絵の中に何が描かれているかが見えてくる。しかし、その先に行くにつれ、タイトルが無題だったり、番号だったり、「作品」だったりしてくるともう何の抽象だかもわからなくなる。質感だったり、色彩だったり、偶然の交線などを、意味をもたず鑑賞するものなのだろうか。また、絵のサイズがどんどん巨大化する。これを飾れるのは広大な壁を持つ富裕層の大邸宅にしか飾れないだろうなあ。そういった豊かさを自慢するために、これらの巨大な抽象画が持て囃されたのかしら(いきなり美術館に飾る訳でもないわけで、富裕自慢のために巨大サイズであることに需要があったのか)。
(”始まり”のセザンヌ)
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