2007/04/08

2007/04/08

[BOOK] ロリータ

以前、学生の頃だったか実家にあったので読みはじめたことがあったけれど、あまりのつまらなさに途中で放り出していた。新訳が出たのを知り、昨年再挑戦して読みはじめた。…でも私にはあわないようで第一部を読み終えた後、しばらく放り出していた。このままでは気持ちがすっきりにしないので気合を入れてやっと読み終えた。いろいろ宝石のような細工があちこちに散りばめられていることはわかるけれど、うーんやはり体質に合わないものはしようがない。

[BOOK] プリニウス書簡集

「ローマ帝国一貴紳の生活と信条」という副題がつけられている小プリニウスの書簡集。二千年後にユーラシアの反対側に住む人間、それも当時存在すらしていなかった言語に翻訳されて読まれるとは彼も想像だにしなかったろう。

読んでいて思うのは、二千年の距離を感じないということだ。もちろん当時と今の風俗・習慣の違いはあれど彼の倫理的態度、科学的とも言える考察など共感できる部分の方が圧倒的に多い。同時代性すら感じられる。

第十巻ではトライヤヌス帝とのやりとりが収められている。そこでのやりとりを読んでいると、やはり私自身が持つ’皇帝’という言葉のイメージとローマの皇帝とではイメージの一致をみることができない。ローマの皇帝はむしろ現代の(例えばアメリカ合衆国における)大統領のようなイメージである。ユーラシア大陸の東側に存在していた帝国の’皇帝’と同義ではない。

[BOOK] ルサンチマンの哲学

ニーチェの特にルサンチマンについて語られた著作。道徳とは何かということを考えさせられた一冊だった。

ルサンチマンということを考えると、結局のところ現実のままならなさに対する補償を自己の中でどのように行うかということにつきるのだろう。そういう意味では道徳的に良いとされうる利他的な行為というものは、実のところ裏側に潜む利己的な目的を覆い隠しているだけだということか。

そして「道徳的であるとは」何か?、「道徳的に生きる」ことの理由とは?を考えずに唯社会通念上の”道徳”に生きねばならない自分とは何かを考えさせられた。(この文脈とあまり関係ないかもしれないけれど)さらに思うのは一度きりの自分の生を「ニヒリズム」に生きるのではなく、自分とかかわる全ての世界と目的を持って関わりたい。

以下、なるほどと思ったろころを引用しておく。

「キリスト教的ルサンチマンは、反感や増悪をそのまま愛と同情にひっくり返
すことによって復讐を行なう独特の装置なのです。(略)だから彼らの「愛」の
本質は、実は軽蔑なのです。」(P.27)




「道徳とか倫理というものが、内面的な心の問題であるということに、今日我々
は少しも疑念をもちません。(略)プラトン以前の古典ギリシア的な観点から言
えば、「偽善」なんてことはそもそもありえないのです。」(P.30)




「道徳的尺度による世界解釈の一元化とともに「狂気」という概念がはじき出
された。(略)狂気だからはじき出されたのではなく、はじき出されたから狂気
なのである。」(P.64)

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