2024/09/28
後藤繁雄「現代写真とは何だろう」
たまたま書店で面白そうな本はないかと物色していたところ、この本に出会い購入。私自身は、コンテキストとかステートメントの予備知識や理解がどうしても必要だったりするのでいわゆる現代アートは苦手の部類。ここでいう現代写真もファインアートの流れに組み込む・組み込まれた写真のことかと思って読み進めたが、ウィリアム・エグレストン、スティーブン・ショア、中平卓馬・森山大道(PROVOKE)などが現代写真の創世記・プロローグとして語られる。そして80年代、90年代の写真家・・・と語られ、最後はAR/VRで終わる。写真の掲載はほとんどないため、取り上げられた写真家(作家)がどのような作品を作っているのかは筆者の語り口のみからしか想像できない。もちろんGoogleなどで検索すれば一部を知ることができるが、特に後半に紹介される写真家(作家)の名前は私としては初見の人ばかり出会ったため、今度じっくり調べて興味が湧く写真を見つけたら写真集を見てみよう。ちなみにサム・フォールズは雑誌IMA Vol. 41を見て知っていた。
筆者が巻末に「来るべき写真のためのブックリスト」と称して、大きく変容しつつある写真を考えるためのリストを提供している(本書の帯のコピーが「写真をre-thinkする」である)。調べてみると既に絶版なのか品切れとなっていて入手が古書でのみとなっているものも多い(そして現代写真を論ずるにあたって重要な本なのであろうから、出版時の価格よりかなり高くなっているものばかりだ)。
来るべき写真のためのブックリスト:(本書巻末のリストに掲載されている書籍の出版元サイトのページをリンク(一部のぞく))
- <購入済>ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』佐々木基一編集解説、晶文社、1999年
- <購入済>スーザン・ソンタグ『写真論』改版、近藤耕人訳、晶文社、2018年
- <購入済?>ロラン・バルト『明るい部屋|写真についての覚書』新装版、花輪光訳、みすず書房、1997年
- <品切れ>プラッサイ『プルースト/写真』上田睦子訳、岩波書店、2001年
- <購入済>ヴィレム・フルッサー『写真の哲学のためにーテクノロジーとヴィジュアルカルチャー』深川雅文訳、動草書房、1999年
- ジョン・シャーカフスキーほか『写真の理論』甲斐義明編訳、月曜社、2017年
- <品切れ>ジャン・ボードリヤール『消滅の技法』梅宮典子訳、PARCO出版、1997年 (PARCO出版のWebサイトに掲載なし)
- <購入済(英語版)>スティーヴン・ショアー『写真の本質一人門書』平石律子訳、ファイドン、2010年
- <品切れ>ダグラス・エクランド『The Pictures Generation, 1974-1984』メトロポリタン美術館、2009年 (Google books)
- <品切れ>トニー・ゴドフリー『コンセプチュアル・アート』木幡和枝訳、岩波書店、2001年
- <pdf>ピーター・ガラシ『Pleasures and Terrors of Domestic Comfort』 ニューヨーク近代美術館、1991年
- <品切れ><図書館で借りた>シャーロット・コットン『現代写真論ーコンテンポラリーアートとしての写真のゆくえ』新版、大橋悦子/大木美智子訳、晶文社、2016年
- <品切れ>シャーロット・コットン『写真は魔術ーアート・フォトグラフィーの未来形』深井佐和子訳、光村推古書院、2015年
- シャーロット・コットン『Public, Private, Secret On Photography and the Configuration of Self』アパチャー、2018年
- <品切れ>久保田晃弘/畠中実『メディア・アート原論ーあなたは、いったい何を探し求めているのか?』フィルムアート社、2018年 (試し読み)(Kindle版)
- <品切れ>エリック・マクルーハン/フランク・ジングローン編『エッセンシャル・マクルーハンーメディア論の古典を読む』有馬哲夫訳、NTT出版、2007年
- <品切れ>ディヴィッド・ホックニー『秘密の知識ー巨匠も用いた知られざる技術の解明』普及版、木下哲夫訳、青幻舎、2010年
- ゲルハルト・リヒター『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』増補版、清水訳、淡交社、2005年
- <品切れ>ワリード・ペシュティ編『Picture Industry: A Provisional History of the Technical Image, 1844 2018J JRP Ringier、2018年
- 後藤繁雄『東京広告写真』リトルモア、1994年後藤繁雄『写真という名の幸福な仕事』アートビートパブリッシャーズ、2003年
- 後藤繁雄『超写真論ー篠山紀:写真力の秘密』小学館、2019年
- 後藤繁雄『現代写真』リトルモア、2023年
- <品切れ>後藤繁雄/港千尋/深川雅文編『現代写真アート原論|「コンテンポラリーアートとしての写真」の進化形へ』フィルムアート社、2019年 (試し読み)
- 後藤繁雄/港千尋『anima on photo』アートビートパブリッシャーズ、2014年
- 後藤繁雄/港千尋『hyper-materiality on photo』アートビートパブリッシャーズ、2015年
- レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語ーデジタル時代のアート、デザイン、映画』堀潤之訳、ちくま学芸文庫、2023年
- ケヴィン・ケリー『テクニウムーテクノロジーはどこへ向かうのか?』服部桂訳、みすず書房、2014年
- ケヴィン・ケリー『インターネットの次に来るもの↓未来を決める12の法則』服部桂訳、NHK出版、2016年
- <品切れ>ジェームズ・ブライドル『ニュー・ダーク・エイジーテクノロジーと未来についての10の考察』久保田晃弘監訳、栗原百代訳、NTT出版、2018年 (Kindle版)
- ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アートー課されるものなき芸術星を覆う内戦時代のアート』大森俊訳、フィルムアート社 2021年
- 安部公房『箱男』改版、新潮文庫、2005年
- ミラン・クンデラ『不減』菅野昭正訳、集英社文庫、1999年
- リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』上下巻、柴田元幸訳、河出文庫、2018年
- W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』新装版、鈴木仁子訳、白水社、2020年
- ミシェル・ウエルペック『地図と領土』野崎歓訳、ちくま文庫、2015年
2024/09/16
新藤健一「新版写真のワナ」
写真の中平卓馬が「水平線にある太陽を、これは朝日か夕日かと問われても答えられない」と語っているように、時間的、空間的要素を抜きにして写真を語ることはできないのである。
先日、柳本尚規「プロヴォーク: 中平卓馬をめぐる50年目の日記」を読んだばかりの私は思わず手元に置いていた中平卓馬も著作集「見続ける涯に火が… 批評集成1965-1977」を手に取り、松永優裁判を取り上げた「客観性という悪しき幻想ー松永優事件を考える」を読み直してしまった。ただし、この中には、「水平線に〜」の部分は記載がなかった。今手元にないのでわからないが、おそらく他の著作だろうと思う(このような文章があったような記憶はある)。
2024/09/15
柳本尚規「プロヴォーク: 中平卓馬をめぐる50年目の日記」
特に買う本も無く池袋のジュンク堂を訪れ、棚から棚へ何か面白そうな本はないかと物色していたらこの本を見つけた。この本を読むまでは、私は著者の柳本さんを知らなかった。中平卓馬が編集者から写真家になり活躍していく60年代後半の中平卓馬やその周辺の事柄について、助手?のように近くにいることが多かった著者が、記憶を呼び起こして日記風?にまとめたもののよう。
近年の葉山の神奈川県立美術館や東京国立近代美術館の展覧会、ギャラリーでの展示など、2015年に亡くなった中平のブーム?がまた来ているのか。
写真を撮り始めて、写真について色々と考え出し文字情報を漁りだすと、必然的に中平卓馬の写真についての言説に出会う。中平の書籍などでの言説のみが純化され中平のイメージとなっていく。そこである種の人たちは感化され、一種の中平教の信徒になる。そうなると、亡くなった人のことでもあるし、どんどんカリスマ化されていく。(本当は文章で写真を理解した気になるのではなく、写真から考え、自分なりの理解を導き出すべき何だとは思う。)
そんな中で、50年後に思い出して書かれたものとはいえ、中平の近くにいた人が普通の中平を記録して置くのはとても大切だと思う。中平の言説だってその中から産まれてきたわけだろうし。
柳本さんの「日記」は1971年に中平がパリビエンナーレに行くところで終わる。この辺りまでが、柳本さんと中平が濃密に付き合いのあった時期だったのかしら。
エピローグで、1977年に中平が倒れた直後のことなども少し触れられている。
2024/09/14
「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展
東京ステーションギャラリーで開催中の「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展へ行く。浮世絵のようなグラデーション、水彩画、シルクスクリーン、彫刻、矢印いっぱい、ミサイルの歯、Little hatted man。
2024/09/08
映画「夏への扉 キミのいる未来へ」
昨日のハインラインの「夏の扉」を読んだ勢いで、本作を鑑賞。舞台を1995年と2025年の日本に移している。尺の関係で仕方がないと思うけれど、主人公のダニエル(宗一郎)と飼い猫ピートの関係、ピートとベル(鈴)やベルのいやらしさ、サットン夫妻との出会い等、リッキー(莉子)が冷凍睡眠に至る経緯などが省略されているので、物語が少し浅く感じたかもしれない。あと、時系列?的には結構複雑なお話で、小説を読んだ者であれば、次の展開は想像できてしまうが、未読の人は理解できたのだろうか。
2024/09/07
ロバート・A・ハインライン「夏への扉」(The Door Into Summer)
1957年に出版された有名なハインラインの小説だけれど、まだ読んでいなかったので夏休みに読もうと購入。違う方の訳の版もあるようだけれど、オリジナルの福嶋正実訳を選んだ。ただし、新版とあるように現代にあわせて訳語などがアップデートはされているらしい。タイムトラベル、ロボットとSF要素は多くあれど、この話の中核は純愛だなと思う。
しかし、1957当時にハインラインが想像した2000年と僕らが現実に経験した2000年は大分違ったな。




