2025/03/25

多和田葉子「エクソフォニー 母語の外へ出る旅」

 

エクソフォニー(exophony)という言葉を知ったのはリービ英雄の著作だったと思う。そして、その代表作家として多和田葉子の名前もセットで述べられていた。Wikipediaによると日本語では「越境文学」とも言うらしい。母語でない言語で文章を綴ると言うのは一体どう言うものなのだろう。仕事で使う程度にしか他言語(英語)を理解できない私には想像もつかない。

この本自体は、タイトルに関連するような数々の随筆からなっている。どれも興味深いものだったけれど、馴染みがそれなりにあると言う意味では、副題として「英語は他の言語を変えたか」とある「ボストン」と題された章だった。多和田が米国に住むドイツ人から、米国に長く住み英語を日常的に使う生活を送っていると、ドイツ語がおかしくなるということを聞いたと言う話があった。英語の単語をそのまま母語の中で使ってしまうと言うのは良くあると思う。日本語だってそうだと思う。そしてそれは何も米国に住むドイツ人だけでなく、ドイツに住むドイツ人も英語の影響を受けていると言う話に飛び、言葉だけでなく言い回しまで英語の影響を受け、ドイツ語では使わないような英語の言い回しをドイツ語の単語に置き換えて使うようなことが起きている。このことについても、日本語でも同じであるとして、例えば「良い週末を。」という言い回しは一昔前の日本人は使わなかったという例が挙げられていた。確かに、私は「良い週末を。」と言う言い回しを会話でもSNSのチャットなどでもよく使う。

最後に多和田は以下のように書いて章を締めている。

日本語やドイツ語の中にも英語が入ってきている。しかも、単語が外来語として入っているだけでなく、言い方そのものにも影響を与えている。そう言う意味でも、一つの言語だけを話している人も、言語間の交わりや闘いを下で受け止めながら生きていることになる。

この文庫自体は北区の中央図書館から借りたもの。 

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