[BOOK] 新約聖書を知っていますか
以前読んだ旧約聖書の続編(?)の新約聖書版。
やはり旧約聖書版同様知ったかぶりをするには最適なガイドブックであることにはかわりないけれど、内容的には旧約聖書版の方が面白く感じられた。
このあたりの違いは、基になった新約聖書よりも旧約聖書の方が内容的には充実しているからなのだろうか。
思想なり運動なり宗教なりが生まれ、それが勢いを得て広まっていくには、もちろんそれらの内容が時代の要請に応えうるものであることは必須だが、それだけでなく、それらを唱えた人がいかに素晴らしく英雄的であったかを喧伝し主唱者に負けるとも劣らない苛烈な一生を送る人間が必要だということである。
例えば、キリストで言えばパウロ(やペテロ)をはじめとした弟子達がキリスト教の広がりには必要であったろうし、他の宗教 - ぱっと思い浮かぶのは一向宗における蓮如などもそういう役割だったろう。思想・運動の分野だって松下村塾の吉田松蔭における高杉晋作をはじめとする門下生などもこれにあたるだろう。
この本を読んでパウロなどは、やはり神を”視た”んだろうなと不信心で普段あまり宗教のことなど特に意識せずに生活している私でも思ってしまうのである。
旧友との飯
久しぶりに記憶がないくらい幼い時からつきあいのある(ということはもう30年にもなるはず)友人達二人と久しぶりに会ってメシ(つるや)を食べた。
小学校までは毎日のようにいっしょに遊び、ほぼ同じような人生を歩んでいたが、それ以降は学校も異なり進路も別々だが社会人になってからも必ず年に何回か会っている。
一人は結婚し子供も生まれ着々と人生の安定した地歩を固めている。もう一人はまだ独身ではあるが、CG関係の素晴らしい仕事をしている。そして私は子供を作る勇気もなく、家を買うために何十年もローン抱えて暮していくなんていう勇気はさらになく、ただうだうだと滞留しカメラのファインダに映るようにも思える自分を探して放浪している(30過ぎて自分探しもないと思うし、かっこ悪いよなぁ)。
昔は会うと大抵夜明けまでのコースになってしまっていたけれど、お互いジジィになり体力もなくなってきているので午前様ぎりぎりのところで帰りました。
いろいろな事を話したのだけれど中でも印象的だったのは、あるCGクリエータ(?)が社会との接触を断ち2年間自宅に引きこもり彼が望むCGの作品を作りあげたという話だった。- 2年間自宅に籠り(もちろんその間は貯蓄を切りくずして生活していたらしい)、ただ一つの作品のために全てを没頭していた。 -
父の記憶
その後、彼はその作品で何かの賞を受賞(CG業界に疎いので名前は失念)しヨカッタネとまあハッピーエンドだったらしいのだけれど、そんなことはどうでもよくて、その2年もの間彼を作品づくりに没頭させたその執念とでもいうものがやはり何かをなすものとなさないものとの差なのかなという思いを受けた。
(こんな言い方すると明治の立身出世話みたいで違和感を感じるのだけれど他になんて表現すれば良いのだろう?)
もちろん彼自身にも才能はあったのだろう。だけれどもそれだけで2年間もの長い時間を猛烈な孤独の中でただ思い描いた作品を完成させるためだけに過せるものではないと思う。その間彼を支えたものは、この作品はとても素晴らしいものにできるはずという強い自負心に似たものがあったに違いない。
よく言われるように、いつか小説を書いてみたいと思うことと実際に小説を書き上げることの違いの話がここにもある。
もちろんこんなアツイ話だけでなく、男の子にとっては永遠の話題 - 女の子のことや”I”の前に来る話 - もたくさんしましたョ。
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